人獣共通感染症(ズーノーシス)について
皆さんは御家族やお友達と一緒に焼肉を食べに行ったことがきっとあることでしょう。そして焼肉を食べながら、こんなフレーズを耳にしたこともあるのではないでしょうか?
「牛肉は生で食べても良いけど、豚肉はよく火を通さないと駄目だよ。寄生虫がいるから。」
聞いたことありますよね?けれど実際にどういった寄生虫がいてどんな症状が出るのか、なかなか説明できる人は少ないのではないでしょうか。
わたしたち日本人というのは寄生虫や感染症という言葉に特に敏感であると感じています。SARSにしてもインフルエンザにしてもあまりに素早い、ともすれば過剰とも思えるほどの対応をとりがちです。悪いことではないかもしれませんが、中途半端な情報を鵜呑みにして不正確な噂だけが一人歩きしていることもしばしば見受けられます。
例えば先に述べた豚肉について、「SPF豚だから病原体はいないよ。生でも大丈夫。」なんて話も聞くことがありますが、これも厳密には間違いです。病原体というものは往々にして目に見えず、それを保持しているかもしれない生物に対して恐怖心や蔑視の心を生じさせてしまいます。そして、ただ外見だけきれいならばそれでよし、汚れていたら病気を持っているという安易な判定基準がそこに生じてしまうことはとても残念なことであります。
生物である以上、病原体がいないなどという例外的な動物はあり得ません。本トピックスではわたしたちの大切な愛玩動物から人に感染しうる(その逆も然り)感染症、いわゆる人獣共通感染症またはズーノーシスについて代表的なものをいくつかピックアップし、飼い主の皆さんに正しい知識と冷静な判断力を培っていただければと考えております。
なお豚肉についても気になると思いますが、ここでは敢えて詳述をしませんので是非調べてみてくださいね。また、エボラ出血熱やマールブルグ病といった身近とは言い難いズーノーシスについても割愛させていただきます。
狂犬病ウイルスによるこの病気は発病したら重篤な神経症状を伴いほぼ100%死亡するという恐ろしい病気です。
狂犬病という病名から誤解されやすいのですが、この病気に罹患するのは犬と人だけでなく、全ての哺乳類が感染・発病すると考えられています。
ウイルスは唾液中に排出され、おもに咬傷により伝播されます。
国内では1957年に根絶に成功しており身近な病気としてとらえにくいのですが、海外の多くの国では依然蔓延している状態です。海外に出かける際には渡航先の狂犬病の状況を確認し、もしも犬や他の野生動物に咬まれるようなことがあればただちに傷口を洗浄し、病院へ行ってください。狂犬病は幸いにも曝露後免疫といって咬まれてすぐにワクチンを接種することが有効となります。
WHOの指針によれば狂犬病の流行を阻止するには犬への狂犬病ワクチン接種率が70%を超えている必要があるとされています。しかし現状ではその数字をクリアできていません。今発生していないなら別にいいじゃないかという話を頻繁に聞きます。不必要な注射がかわいそうだという人もいます。しかし狂犬病はいつまた国内に入ってきてもおかしくない状況です。猫・キツネ・スカンク・アライグマ・・・、そしてコウモリ。すべての哺乳類が感染・発病するのです。この悲惨な病気に対しては用心し過ぎるということはないのではないでしょうか。
人におけるトキソプラズマ症というのは特に妊娠中の女性にとっては大変関心のある事柄なのではないでしょうか?
このトキソプラズマという目に見えない小さな原生生物(原虫)は発熱・筋肉痛・軽度のリンパ節の腫れといった分かりづらい症状から、脳炎や網膜炎・肺炎・心筋炎といった重篤な症状(免疫抑制状態にある場合)も引き起こし、妊娠中に感染すれば流産・死産も起こりうると言われています。そこで時々聞くのが、妊娠したら猫に触れてはいけないという噂です。
トキソプラズマと猫とは切っても切れない密接な関係があります。
終宿主という言葉をご存知でしょうか?終宿主というのは寄生虫が次世代の個体を生みだすことができる生物のことを言いますが、猫こそがトキソプラズマの終宿主なのです。
トキソプラズマは人を含めた多くの哺乳類に感染しますが、猫以外では子孫を残すことはできません。トキソプラズマは猫の消化管壁に寄生し、オーシストという卵みたいな(厳密には卵ではない)ものを糞便とともに排泄するのですが、このオーシストをネズミや豚などの動物(中間宿主)が摂取し、その中間宿主をまた猫が捕食するという経路でトキソプラズマの生活環は維持されているわけです。
そういった事情もあり、猫におけるトキソプラズマ抗体の陽性率は50%を超えると言われています。
それならば単純に考えると、妊娠中に猫の糞便に触れることがあればトキソプラズマによる影響が高率に出てしまうのでは…ということにはなりませんので安心してください。
第一に、トキソプラズマ保有猫でも実際にオーシストを排泄するのは感染のごく初期のみと考えられます。つまり成熟した猫は危険性が少ないのです。
第二に、排泄されたオーシストが感染能力を備えるのには数日かかると言われていますからトイレをしっかり掃除していれば大丈夫です。
第三に、トキソプラズマの影響が出るのは妊娠してから初めて感染を受けた場合なので、妊娠前からトキソプラズマに感染していれば問題ありません。ですから妊娠が分かった時点でトキソプラズマ抗体の測定をしておくことが重要となります。もしもトキソプラズマ抗体陰性だった場合には、飼い猫を外に出さない(ネズミを捕食させない)、トイレをきれいに掃除する、猫に触ったら手をよく洗うなどで十分に対応できます。そして猫とは関係無く大事なこととして、豚肉の生食は避けた方が良さそうです。
これも近年大変注目されている人獣共通感染症の一つです。
北半球に広く分布し、国内では北海道が流行地域となっていますが、北海道旅行の時に「キツネには触らないでね。」と言われる理由の殆どがこの寄生虫によるものです。
エキノコックスには単包条虫や多包条虫などがありますが、現在国内で問題になっているのは犬やキツネを終宿主とし、ネズミを中間宿主とする多包条虫であり、これが本来の中間宿主ではない人の体内に入り込んで主に肝臓に重篤なダメージを与えるのがいわゆる「エキノコックス症」と呼ばれる感染症です。
成虫は数mm程度の大きさで、犬やキツネの消化管内に寄生し、症状としては下痢や血便が時々見られる程度ですが、糞便と一緒に排出された虫卵が人体に入ると、5年~10年の間に徐々に肝臓内で増殖し、巨大な腫瘍様の塊となって肝臓の働きを奪っていきます。基本的には外科的な切除となりますが、長期間放置すれば命に関わる感染症です。
北海道のキツネの多包条虫感染率は40%を超えると言われますが、幸いなことに犬では1%程度と言われています。犬がネズミを捕食する機会が少ないことが理由と思われますが、第一の対策としては犬をキツネの生活環境に近付けず、ネズミを捕食させないということが大事になります。また流行地域では定期的な虫卵検査や糞便内抗原検査を行い、陽性犬に対しては徹底的な駆虫を行います。地域によっては予防的な駆虫薬投与を行うことも必要でしょう。
北海道から他地域への犬の移動は年間7000頭と言われます。いつ北海道外でエキノコックスが定着するか、時間の問題なのかもしれません。
ワイル病や秋疫、七日熱などと呼ばれてきた病気です。
病原体はレプトスピラ菌と呼ばれる細菌であり、血清学的には200以上の血清型に分類されます。
人や犬だけでなく、牛や豚などの家畜、ネズミなどのげっ歯類その他多くの哺乳類に感染しうる細菌です。感染したレプトスピラは腎臓に定着・増殖し主に尿中に排泄されるため、感染動物の尿で汚染された土壌や水が感染源となります。
国内ではかつては年間50名以上の死者を出す病気でありましたが、現在では環境衛生の充実や犬へのワクチン接種の普及により大幅に発生件数は減っています。
血清型によって症状は様々ですが、犬では発熱・元気消失・嘔吐・下痢・黄疸などがみられ急性型では重度の脱水や尿毒症により発症後数日で死亡する場合もあります。
人のレプトスピラ症は急性熱性疾患であり、感冒様症状のみですぐによくなる軽症型もあれば、黄疸・出血・腎障害を伴う重症型まで様々です。
犬の場合には不顕性感染(症状が出ない)の結果、長期に渡ってレプトスピラを保有し、排菌を続ける個体もいるようです。
予防としては、まず自分自身や飼い犬がレプトスピラに汚染されている可能性のある水の中で遊んだり、水を飲んだりしないことが重要です。またそういったところで飼い犬を遊ばせる場合には定期的にレプトスピラのワクチンを接種しておいた方が良いでしょう.
猫を飼っている人なら誰もが多少なりとも噛まれたり、引っ掻かれたりという経験があることでしょう。そして大抵の場合は簡単に消毒をして数日もすれば良くなってしまうはずです。
けれど、もしも数日経って受傷した部位から付近のリンパ節が腫れる、発熱・倦怠感・関節痛も起るということがあれば、念のため病院へ行ってください。そして最近猫に咬まれた、引っ掻かれたということを医師に伝えた方が良いでしょう。
いわゆる猫引っ掻き病という病気はリケッチアと呼ばれる微生物の一種、Bartonella henselaeによって起こるズーノーシスです。
ノミにより猫から猫へと伝播し、国内では9%~15%の猫がこの病原体を保有しているといわれます。
重要なこととして、この微生物は猫に対して全く病原性を示さないということを覚えておかなければなりません。すなわち猫がこの病原体を持っているかどうか、傍目には分からないということです。喧嘩など他の猫との接触の多い雄猫に保有率が高いと言われますので、該当する猫にはしっかりとノミの予防を施す必要があるかもしれません。
また子供に発症するケースが多く、高齢者や免疫抑制状態にある人の場合は重症化することもあるので、こういった発症リスクの高い人たちの場合は多寡が猫の傷くらいで、と思わずにしっかり抗生物質を飲んだ方が良いのではないでしょうか。
毎日一生懸命に歯磨きをしていても、頻繁に歯石除去をしても人や動物の口の中から菌を放逐することは不可能です。基本的には動物の口の中は細菌の有無という観点から言えば非常に汚染されているということを忘れてはなりません。
特にここで取り上げるパスツレラ菌という細菌については猫の口腔内には100%、犬の口腔内では75%の確率で常在菌となっていると考えられます。
一つ前に紹介した猫引っ掻き病の場合もそうですが、子供・高齢者や免疫抑制状態にあるいわゆるハイリスクの人たちが、そうでない人たちと同様に濃厚に動物と接触することが必ずしも好ましいわけではないということを改めて強調しておかなければなりません。
猫引っ掻き病と同様に、犬や猫からのパスツレラ症も咬み傷や引っ掻き傷から感染すると考えられます。また時には飛沫感染も起こるようです。犬・猫の多くは無症状ですが、人の場合は受傷部位が赤く腫れたり化膿したり、重症化すれば気管支炎・肺炎・髄膜炎に至るようなケースもあります。
基本的にはどうやってハイリスクの人たちの感染機会を減らせるか、というのが予防として重要ということになります。


